会社履歴

弊社は創業70年となりました。

これも一重に皆様かたの絶大なるご支援の賜物と深く感謝いたします。
父が今で言いますとこの脱サラにて市役所を退職し、石田造園を創業致しましたのが昭和28年8月と聞いています。
最初の10年は余り仕事も無く大きなお家の庭掃除や溝さらいばかりしていたそうです。
父と母の実家が両家とも農家のため、お米と野菜はあったそうですが、随分肩身の狭い思いをしたそうです。
また近くの養鶏場で卵を産まなくなった鶏を良く締めていました。
私は小さい時にずいぶん手伝いをして今では鳥は大の苦手になりました。
昭和40年頃から高度成長時代の波で別府には多くの保養所が出来るようになり、最盛期には数十件の工事をしたと聞いています。
その頃良くお世話になった日立健保の役員の方より法人格をとって建設業の許可を取りなさいと奨められたそうです。
父はその言葉の通りに従ってその当時知り合った大手ゼネコンさんや日立関係の多くの仕事はしたそうです。
また、市役所に務めていたころの同僚の方が建設部の課長さんになって役所工事をするように誘ってくれたとも聞いています。
「人は宝」と本当に思います。が、人を疑わない父は最後まで取り返しのつかない大失態にその後遭遇致します。
とある旅館の庭園と露天風呂工事を請負約一年掛けて工事をしましたが工事代金をまったくもらえず、約2000万円の損失を出しました。
材料屋さんや工事を手伝ってくれた業者さんに迷惑はかけられず財産をほぼ処分して支払をしましたがその後の経営は長年苦しめました。
時代はオイルショックやバブル崩壊と小さな植木屋では太刀打ちできない揺さ振りをかけてきますがそれでも誠実一途、正直だけを心情にやってきました。
父を助けて頂いた方々お一人お一人に直接お礼を述べたい気持ちと、いままた私を助けて下さいますたくさんの方々にお礼を述べさせて頂きたいと思います。
「ひとは鏡」私自身が皆様の叱咤激励で励まされ諭されるばかりです。
この世界に足を踏み入れて三十数年まだまだ駆け出しではありますが皆さまに愛される植木屋をめざして日一日と誠心誠意尽くしたいと思います。

会社履歴

昭和28年 08月  石田精良、石田造園創業
昭和48年 08月  有限会社石田造園土木に組織変更
昭和48年 10月  大分県知事許可第983号取得、大分県と別府市に指名願いを提出
昭和53年 08月  別府市緑化協会入会
平成06年 06月  初代社長石田精良逝去
平成06年 07月  二代目社長石田啓三就任
平成07年 07月  株式会社に組織変更
平成25年 08月  創業60周年を迎える

初代 石田精良 足跡(故人から聞き伝えのため、間違いがあるかもしれません。)

大正15年 11月  旧速見郡朝日村大字鶴見1553番地(現別府市竹の内)出生
昭和12年 03月  朝日尋常小学校卒業
昭和14年 03月  朝日尋常高等小学校卒業
昭和16年 03月  別府市立青年学校卒業
昭和16年 04月  家業の米農家と精米所の手伝いを始める
昭和20年 03月  太平洋戦争にて陸軍に出征
昭和20年 08月  内地にて終戦
昭和21年 04月  別府市役所に奉職
昭和28年 07月  別府市役所都市計画課公園緑地係を退職
昭和28年 08月  石田造園を創業
平成06年 06月  67歳にて逝去

二代目 石田啓三 足跡

昭和35年 06月  別府市大字鶴見2103番地(現別府市竹の内)出生
昭和55年 03月  大分県立大分工業高校土木科卒業
昭和55年 04月~56年08月  全国を放浪
昭和59年 01月  家業引継のため帰郷
平成06年 07月  代表取締役 就任
平成22年 08月  別府市緑化協会会長就任
平成23年 08月  別府市緑化協会の一般社団法人の組織変更代表理事就任
平成25年 08月  現在に至る

昭和28年

創業当時

昭和29年9月

某邸造園工事

昭和30年頃

某社社宅造園工事

昭和37年頃

初代と職人さん

昭和40年頃

現場風景

昭和42年

某邸新築工事

昭和47年3月

某保養所造園工事

昭和61年

別府公園池
流れ整備工事起工式

平成5年4月

一村一品クラフト公園
造園工事

平成13年4月

大分県農業文化公園
植栽工事

平成22年12月

餅ケ浜海浜公園
環境整備工事

平成25年8月

実相寺中央公園
パークゴルフ場施設整備工事中